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慰安婦劇女優が悔悟の証言 挺対協の背信、そして旧社会党との関係-2

旧社会党議員の暗躍


この手紙に出てくる清水議員と本岡議員は、恐らく旧社会党の議員で清水澄子氏、本岡昭二と思われる。清水澄子氏は「朝鮮女性と連帯する日本婦人会連絡代表」などの肩書をを持ち、90年度には新潟発の”日朝友好親善の船”に乗って訪北。親北派として知られていた。民間基金、続いて村山内閣時にその延長線上に設置された”アジア平和国民基金”にも反対し、挺対協と一心同体だった。1990年12月28日の参議院外務委員会において、いわゆる「従軍慰安婦」について女子挺身隊として「強制連行」があったのではないかという趣旨の質問を行い、92年にはあの吉田政治を予算委員会の参考人として要請。「実現しなかったことは非常に残念です」などと述べている。あの時点で国会において吉田証言の矛盾や虚偽が追求されていたなら、クマラスワミ報告など、慰安婦問題の流れは変わっていたかも知れない。本岡昭次氏は80年に旧社会党議員として当選し、98年に民主党に鞍替えしている。慰安婦問題に関して、国連で”日本軍による性奴隷SEX SLAVE"という言葉を定着させた戸塚悦郎氏を国連でロビー活動をさせた黒幕だと言われている。産経新聞の取材によると「慰安婦を性奴隷と規定することには違和感を抱き、「戸塚と言い争った」と語る」(14.5.25)とあったので、実際にどんな言い争になったのか1月、本人に取材した。結論から先に言えば、本岡氏は戸塚氏を慮ったのか「性奴隷は人権委員会が決めたこと、、、」と主張。「でも戸塚さんは著書などで私が性奴隷を広めたと誇らしげに語っています」畳みかけると最終的には「確かに慰安婦の方々にとっても”奴隷”という言葉は、、、」と困惑を隠さなかった。
余談だが、本岡氏は90年代、中国に慰安婦問題を訴えに行ったが、中国政府側から「慰安婦問題に関し事実調査したが、当方では認知しておりません。中国には人権問題は有りません」などと一蹴されたという。昨年、中国が慰安婦問題をユネスコに登録申請した背景に、こうした日本人たちのロビー活動の蓄積がある。
 社会党時代に「政府が関与し軍が関わって、女子挺身隊という名前によって朝鮮の女性を従軍慰安婦として強制的に南方の方に連行したということは、私は間違いない事実だという風に思います」(91年4月1日参議院予算委員会)などと意見を述べるが、証拠は一切開示されていない。また「従軍慰安婦に関する戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」(戦時性的強制被害者問題解決促進法案) を起案したため、別名・本岡法案とも言われている。しかも、この本岡質疑を尹氏の活動を支えていたと推定される在日の金英姫氏が傍聴しているのだから、社会党と挺対協の蜜月ぶりがうかがい知れる。実際、自宅には挺対協から本岡氏あての感謝状が飾られていた。本岡法案の原案を持って戸塚氏と一緒に韓国の挺対協を訪ねた際、尹氏から「こんな文言は甘すぎる」と突き返されたエピソードなども語ってくれた。
 その後、尹氏が北出身の人間だったことが社会党系の女性団体の発行していた『ふじん新聞』で判明した。92年、平壌で開催された日本の戦後責任を問うシンポジウムに、清水澄子議員など日本から33名(在日も含む)や韓国から30名が参加している。4名の元慰安婦の証言などを聞き「翌朝、メンバーは5台の乗用車と4台のバスを連ねて金剛山に向かった。金剛山登山は南の代表の強い希望。代表の一人尹貞玉さんは金剛山が故郷(略)」(『ふじん新聞』92・10・10)とある。
 いずれにせよ宮澤元首相が訪韓した92年は慰安婦プロパガンダが猛威をふるった年である。戸井たか子氏からの札束や、こういった社会党議員たちの働きにより、尹氏とその黒幕たちが”慰安婦問題は民間レベルではなく国家予算が動くほどの大問題に転嫁できる”と踏んだのは想像に難くない。一人女性活動家の尹氏が北海道から沖縄まで日本各地の朝鮮人慰安婦の痕跡や、タイ、ハッチャイ、パプアニューギニアまで慰安婦調査の経費も、もしかしたら社会党からのお金で成し遂げられたのではないか?と憶測したくもなる。
 東岡さんがこういう。「私たちが挺対協のために集めたお金は25万円とささやかです。かたや経済大国日本の国家予算が動くとなれば、尹氏の狙いが変化したのも分かります。とはいえ、本当に慰安婦の慰霊を考えているのなら、日本人の善意のお金”25万円”を拒絶する必要があったのでしょうか?我々が集めたお金が100億円なら受け取っていたのでしょうか?人の誠義とは金銭の大小に換算できるものではありませんよね。尹さんは署名してくれた25,000人の誠義をどう受け止めたのか?お金の授受はのちに不都合が生じるからと断ったにせよ、何故署名まで拒絶したのか?矛盾や嘘を内包したまま運動を続けねばならない宿命を背負い、私たちの介入を一切拒絶する必要に迫られたのではないでしょうか?挺対協は日本人の誠義有る謝罪が欲しかったのではなく、あくまでも未来永劫、政治カードとして利用できる。”日本国家の謝罪”が欲しかったでしょう。社会党と手を組み、更に、我々とも活動できたはずなのに、あえて私たちを切り捨てた背景には、とても尹氏の一存とは思えない背景があると思います」